2023年 09月 17日
今日の夏の旅ってほど大層じゃないんだけど、日帰りで京都・島原へ。 お目当ては、期間を限定して公開している輪違屋と角屋。まず初めに、輪違屋を目指す。 島原大門を潜り、最初の辻を右に折れると輪違屋が。 島原において元禄年間(1688~1704)に創業し、太夫を抱える置屋兼お茶屋として現在も唯一営業を続けるのが輪違屋。京都市指定有形文化財(建造物)に指定されている建物に入ってみたくて、訪れたって訳である。 Photo:煙がそのまま抜けていく構造の台所 Photo:現在も使われているエリアは立入禁止だけど写真はOK。 輪違屋に着いてその中に上がると、ガイドさんがついてくれて、詳細に説明を聞かせてもらえる。説明を聞くと理解が深まるし、間違った解釈が解きほぐされ、島原という地域の成り立ちを正しく理解することができた。 下の写真の襖に貼られているのは、今で言う営業メールの下書きで、とても達筆なのに驚かされた。主座敷には近藤勇の書を屏風に仕立てたものが残されているし、2階座敷の一つ傘の間には、桂小五郎書の掛け軸が床の間に飾られている。幕末の動乱に、維新の志士たちが闊歩していた様が目に浮かぶ。 輪違屋は元々は置屋として創業し、その後揚屋の機能も備えた施設へと変貌していったそうだ。なので置屋として創業した角屋より、座敷やその他の設備は規模が小さいがとても趣のある建物であることは間違いない。 ガイドさんの説明を聞いていて、頭が混乱したのでここで少し用語について整理をしてみることに。 【島原】 様々な理由により、官命で寛永18年(1641)に島原の前身である『六条三筋町』から現在の朱雀野に移転されました。短期間に移転したその騒動が4〜5年前に九州で起きた島原の乱を思わせたことから『島原』と呼ばれるようになりました。正式な地名は、『西新屋敷』です。島原は囲廊的な都市構造でしたが、業務内容は歌舞音曲を伴う遊園の町で、単に遊園だけをこととするものではありません。島原の町は、和歌俳諸とうの文化芸能活動が盛んで、こと江戸中期には島原俳壇が形成されるほどの活況を呈しました。明治6年には『花街』の象徴である歌舞練場が開設され、『青柳踊』『温習会』などが上演されました。このことから歓楽専門で文化のない町である『遊郭』と言う用語では、島原を十分に理解することが出来ません。因みに、遊郭には歌舞練場がありません。 【花街と遊郭】 明治以降の歓楽街は都市構造と関係なく、業務内容で『花街』と『遊郭』の二つに分けられました。『花街』は歌や舞を伴う遊宴の街であり、『遊郭』は歌や舞もなく、宴会もしない歓楽のみの町です。ガイドさんの言葉、『遊郭は色を売る町』と言う言葉でその違いが理解できる気がします。 【揚屋と置屋】 揚屋とは、太夫や芸妓を抱えず、置屋から太夫、芸妓を派遣してもらってお客様に遊宴をして頂くところ。揚屋は料理を作っていましたので、現在の宴会場を備えた料亭、料理屋に当たります。ただし、揚屋は江戸時代のみで、明治以降はお茶屋業に編入されます。 置屋は、太夫や芸妓を抱え、揚屋に派遣します。置屋は太夫や芸妓の宿舎であり、修行・研鑽の場であると言えます。置屋ではお客様を迎えませんでしたが、明治以降お茶屋を兼業する置屋は宴会も行うよになりました。 【太夫と花魁】 太夫は、傾城(官許により、遊宴の席で接待する女性)の芸妓部門の最高位です。太夫は六条三筋町時代、四条河原町でのや舞に明け暮れ、その中から優れた傾城を舞太夫と呼んだことが太夫の始まりとされています。太夫は、舞や音曲のほかに、お茶、お花、和歌、俳諸などの教養を身に付けたスーパーレディーだったのです。 花魁は、芸を披露しないため、歌舞音曲を必要としません。まさしく娼妓部門の最高位となります。 毎度のことだけれど、古い建物を訪れるとそのデザインの秀逸なこと、とても考えられた機能的な建造物に驚かされる。デザインのセンスでは、イタリアなどに決して劣らない、むしろ先を行ってるんじゃないかと思う。そんな思いを胸に、もう一つの目的地である角屋さんに向かった。
by nishan-cordy
| 2023-09-17 22:58
| お出かけ
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Comments(2)
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はい、本当に素敵な空間でした。
機会があれば、是非行かれてみてはいかがでしょう?