2012年 10月 15日
ちょっとまじめな話
病気になって初めて気付く健康のありがたみだとか、いなくなってから知る親のありがたみだとか、同じような意味の言葉を時々目にする事がある。当然、頭では理解している。ぼく自身もちょっと無理して体調が悪くなったりすると、これからは自重しようといつも思う。でも喉元すぎれば熱さ忘れるってやつで、すぐに以前と同じ生活に・・・。きっと本当に理解していないというか、実感が全くないんだろうな。当たり前って思っていることが実はそうじゃないってこと、当たり前がどれほどありがたいことであるかって頭では理解しているつもりだけれど、どこまで身近に感じているかとなるとそれほどでもない。きっとここにお越しのゲストの皆さんのなかにも、そんな風に感じる方が多くいらっしゃるんじゃないかな?

昨年の夏頃から、30年ぶりに高校時代の友人と良く会うようになった。そのきっかけは、同窓会。ぼくはどちらかというと、同窓会に積極的に出席するというタイプではなかった。けれど、勇気を出して出席してみると、これがいい!30年の時間が瞬時に戻ってきたという訳ではないけれど、徐々に当時の事が少しずつ少しずつよみがえってきた。まっ3年生の時はよくさぼって学校に行かない事も多かったし、同じクラスの人たちと遊ぶということもほとんどなかった。そんなクラスで知り合いの本当に少なかったぼくが、強烈に記憶に残っている女の子がいた。背の低い子で、活発でぼくとよく話をしていたように思う。淡く胸がキュンとくる記憶って感じの関係ではなかったけれど、とてもフランクに話の出来る子だった。その彼女も同窓会の幹事として、当日も出席していた。集合場所に行っても誰だか判らない人たちばかりでとても心細い気分のぼくが、彼女の姿を目にしてほっとした気分になれた。そしてもう一人ぼくを同窓会に引っ張りだしてくれた、友人の姿もぼくの気持ちを溶かしてくれた。名字は変わっていたけれど、人懐っこい笑顔で話しかけてくる彼女は高校の時のままだった。

先日、FBで高校の友人から連絡が。
彼女が、死んだ。

前日いつもと変わらず家族と過ごし床についたが、翌朝に目覚めるる事はなかった。就寝中に心肺停止状態に陥って、そのまま逝ったそうだ。ご家族も混乱の極みで、それ以上の情報は判らないとの事だった。昨晩まで元気だったのに翌朝には帰らぬ人になっているのだから、ご家族の心中をお察しすると胸が痛む。高校3年の時、授業をさぼってクラブにだけ行ってたり、同じクラブの奴らや他校の友達と遊んでクラスメイトと呼べるような関係の友人がほとんどいなかったぼくが、30年の時を経てこうして当時の同じクラスの仲間と会えるようになれた恩人の一人。ここに書こうかどうか迷ったんだけれど、彼女からのメッセージのような気がして書く事にした。いつか必ず同窓のみんなもそっちへいくから、しばらく待っといてな。心よりのご冥福を、お祈り申し上げます。


『にっしゃん、明日は必ずやってくると思ってない?当たり前に、明日が来るって思ってるんとちゃう?そんな保証は、どこにもないねんで。だから、一日一日を大切にせな、あかんで。』


by nishan-cordy | 2012-10-15 22:43 | 日々雑感 | Comments(0)
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