2017年 08月 19日
プラージュ
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WOWOWの連続ドラマW プラージュに、ちょっとはまっている。先週から始まったばかりで、訳ありの人たちばかりが集まるシェアハウス『プラージュ』での物語。訳ありの人とは具体的に言うと、前科がある人すなわち犯罪を犯した人。そんな訳ありの人たちが社会に復帰するのがいかに難しく、でもそれでも懸命に立ち上がろうとする姿を描いている。

一度過ちを犯した人でも、校正しようとしているのなら手を差し伸べてあげるべきだと思う。いや、手を差し伸べるって言い方自体、色眼鏡で見ているのかもしれない。誰でも、失敗したり、間違えたり、過ちを犯すこともある。そんな時現実の社会では、ゲームみたいに『GAME OVER』となって、リセットボタンを押せばまた新しくスタートが切れると言う訳ではない。その人たちの人生がそこで終わるわけでもないし、人格が全否定されるものでもない。でも実際、自分の隣人が犯罪者だったら、どうだろう?職場に、前科のある人が仲間として働くようになったら、どうだろう?

ぼくがアルバイトの頃だから今から30年ほど前、ぼくの職場と言うか業界と言うかは今とはずいぶん違っていた。夏休みにアルバイトで仕事場に行くと、決して半袖にならない人が数人いた。前科のある人も、たくさん見てみたし話しもした。日の当たらない世界に身を置いていた人が、堅気になって懸命に仕事をしていた。高校生のぼくにとって、見た目はとっても怖くて近づけずにいた。でも何かのきっかけで接点が出来て話をすると、とっても親切で、フランクで、優しい人ばかりだった。自宅近くにも、そんな人が結構いたように思う。近くの鉄工所、建設業、工場に、見た目ヤバそうな人がいてた。でもその人たちも、話をするととっても優しかった。昭和とは、そういう時代だったのかもしれない。それがいいとは言わないし、言うつもりもない。でも今の時代コンプライアンス(法令順守)がうるさくって、ちょっと窮屈なような気がする。いや勿論、法令は守らなければならない。でもなんていうのか、ハンドルでもそうだけれど『遊び』ってのも、少しは必要なんじゃないかなって。
ぼくの業界で上場企業と取引をするに当たって、従業員に前科のある人がいるかどうかが結構大きな問題になるって話を聞いたことがある。だから上場企業と取引をする企業は、そういう人たちの雇用を敬遠するのだとか。

昨今、障害者の雇用にとても多くの場所が提供され、積極的に取り組む企業が増えている。とても、いいことだと思う。障害者と同じように、犯罪を犯した人たちにも、雇用の場が多く提供され、機会が与えられ、選択の幅が広がればいいのにと思う。自分なりに何が出来るのかを考え、行動をして行こうと思う。



by nishan-cordy | 2017-08-19 21:48 | 映画 | Comments(0)
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