2017年 05月 19日
徳を積む
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Photo:頂いた会葬御礼品。いかにも奈良らしい。

仕事の大先輩のお父様が、亡くなられた。お父様にも、いろいろとお世話になった。本日、葬儀告別式に参列させて頂いた。

徳を積む_b0116656_15071605.jpg訃報に接した際、すぐに供花一対を申し込んだ。業者さんから届いたFAXには、供花一基とプリントされていてそのほかの選択肢はなかった。関係の深い先にご不幸があった際、ぼくは供花一対を捧げさせて頂いている。地域によってしきたりは違うだろうけれど、ぼくの住む地域では以前は樒(しきび)と言って、葬式の式場玄関に高くそびえ立つ葉っぱだけの飾り物をお供えするのが一般的だった(右の写真参照)。花輪をお供えする習慣は、なかったように思う。でも最近では式場前に樒(しきび)をお供えする代わりに、供花をお供えすることが一般的になった。供花は一対でお供えするものだと誰から教えられたわけでもないけど、そう思っている。しかし今回は、一基のみの選択肢。どうしてだろうと思って式場に行ってみると、その理由がわかった。ぼくもこれまで数多くの告別式に参列させて頂いたけれど、非上場の企業の告別式でこれほどまでの供花を見たことがなかった。ざっと見たところ、100基ではきかない。150~200基は、あったんじゃないだろうか?そりゃ、一対を受け付けないはずだ。お父様の、お人柄の表れである。

つくづく思う。人は死んだ時、その人の値打ちが判る。値打ちって言うと、ちょっと違うかもしれないな・・・。柔らかい言い方だとどれだけ豊かな人生だったのか、もう少しダイレクトな表現だと人として徳をどれだけ積んできた人生だったのかが、判るのが死んだ時。仕事の付き合いと言うより、本当に故人と最後のお別れをしたいと、大勢の人が集まっている光景を目の当たりにして感慨深いものがあった。ぼくが死んだ時、同じように大勢の人に集まってもらいたいかと言うとそうでもない。家族がこれまでの思い出を語りながら、静かに最後のお別れをしてくれたらそれでいいと思っている。これからの人生、自分なりに徳を積んで、周りの人のためになれたらと思っている。『葬式無用 戒名不用』で、逝きたいものだ。


by nishan-cordy | 2017-05-19 20:54 | 日々雑感 | Comments(0)
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