2015年 09月 25日
フェースブックの功罪
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ぼくも人並みに、フェースブックってやつをやっている。残念ながら仕事関係での連絡に使ったりする機会が多いので、半ばオフィシャルな位置づけである。ここでいうオフィシャルって公の人としての自分って感じで、要するに自分って存在を仕事を中心としてオープンにしている感があるって意味。それはそれなりに情報を収集したり、仲間やプロジェクトの関係者と連絡を取り合ったり、仕事関係でフェースブックページを作って運営したりとこれまでならできなかったであろうこと(勿論お金をかければできるんだろうけれど、中小零細企業ではそれが叶わないという意味で)ができるようになったりと、とても便利だと思う。これは明らかに、FBの功の部分だろう。

罪とまでは言わないけれど、FBで仕事抜きの素の自分をさらけ出して、それを理解してくれる友達たちと愉しめたらなって最近すごく思う。自戒の念も含めての話だけれど、どうもタイムラインを観ていると自慢話が多くって辟易とする。有名人とのツーショットや、なかなか足を入れることが出来ないお店でのショットだとか、そんなものを見せられるのがたまらなくなる時がある。まっ価値観の違いだからそれが良いだとか悪いだとか言うつもりはないけれど、ぼくはそんな自慢じみたことをUPすることは好きじゃないし、そういう投稿をする人があまり好きになれない。愚痴はこの辺にして再び功の部分だけれど、何十年もあっていない友達とつながって再開できるということがある。実はぼくも社会人になりたての頃のお客さんと繋がって、先日食事に行ってきた。来週には、大学時代の友人と、ランチを一緒にって話にもなっている。要は、自分がどのようにFBと付き合っていくかって、距離感の問題なんだろうな・・・。

by nishan-cordy | 2015-09-25 18:08 | 日々雑感 | Comments(0)
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