2013年 04月 02日
神去なあなあ夜話
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神去なあなあ日常の続編、一気に読了。Mamaが図書館から借りてきた本なので、返却日と言うプレッシャーがあるので急いで読んだ。楽に読めて、『本を読むことを愉しむ』ということを感じられる本だった。あらすじを書くのは無粋な感じがするので控えるけれど、本の中に大峰講って文字が出てきた。講と言うのは、『まあ、組合か同好会のようなもんやと思えばええ。』と本の中で説明されているが、大峰講とは大峰山という修験道の山にお参りに行くチームのようなものと言うと、判りやすいかもしれない。ぼく自身は一度も行ったことはないんだけれど、じつは大峰講はとても懐かしく身近なものである。

オヤジの友達に、大峰講の講元がいた。同じ市場で働く仲間で、店も2軒隣だった。当時時期になるとその店はもとより、市場のあちらこちらに大峰講の告知が張り出された。ポスターと言うほど近代的なものではなく、大きさも雰囲気も相撲の番付のようなものだった。独特の墨文字で書かれていたのを、強烈に覚えている。今も見かけるので、おそらく大峰講は当時からずっと続いているのだろう。参加したことのあるオヤジによると、市場の荒くれ者でさえも絶叫するほどきついものだそうだ。その描写が少しだけ本の中でされていて、大峰講のポスターや講元のおやっさんと若かりし日のオヤジを思い出した。2人とも、あっちに逝ってしまったけれど・・・。そんなことを思いながら読み進めて行くと、神様って実は本当に身近な所にいて下さってるんだって感じたし、そのようなことが書かれていた。世界中どこに行っても、そこに住む人にとっての神様がいる。きっと神様って、人間にとって必要不可欠なものなんだろう。


神去なあなあ夜話
三浦しをん 著 徳間書店


by nishan-cordy | 2013-04-02 21:50 | | Comments(0)
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